No.1 理事長だより
学園理事長の小野久彦です。
学園には理事会というものがあります。学校の中のいろんな問題について、毎月、十数人の理事が集まりいろんな規則を決めたり、改めたり、先生のこと、生徒のこと、部活のこと、寮のこと、食堂のことなど、よりよい学園になるように話し合い、研究し、努力しています。
理事長も、ほんとうは皆さんと毎日でも会って話し合いたい気持ちですが、そうも行かないので、「理事長便り」というものを書いて、先ずは私の思っておることを発表してみようと思い立ちました。毎週か、10日に一回か、続くか、途切れるかわかりませんが、とにかくいろいろ思ったことを書いてみましょう。みなさんの意見をどんどん聞かせてほしいですね、それを楽しみにしています。
引っ込み思案だった学生時代
実は私は、引っ込み思案の方で、学生時代から、しようか、すまいかというようなときは大抵、しない方に決めて引っ込んでいました。
25歳のときPLに入会、「表現せざれば悩みがある」という教えを聞いて、大へんびっくりしたのです。それまで「表現」ということに就いて教えてくれた人もいなければ、本で読んだことも全く無かったからです。大体、表現という言葉自体あまり使われなかった時代でした。人間はその「表現」が如何に大事であるか、そのとき、身にしみて教わりました。或る先生から「小野君、君は考え過ぎだよ、例えば、これやってくれる人は?と聞かれたら、さっと手を挙げることにしたらどうです・・考えてるうちに手が上がらなくなるよりずっといいよ・・」と言われ、以来、出来るだけさっと手を上げることを心がけて来ました。
手を挙げる、声を出すそんなことで積極表現を心がけ性格改造を目指しました。PLの教師になって7年目(昭33年)ブラジルに渡り、更にあちらこちらの外国で50年もPL布教のみささげをし、4年前に日本に帰ってきたのですが、ブラジル行きもさっと手を挙げ、イタリア行きも、カナダ行きもみな手を挙げての志願でした。言おうか、言うまいかというような場合でも、言いそびれないように思い切って口を開くようにし
てきました。皆のためになると思ったら、ぱっと一歩前へ出る、手を挙げる、声をあげる、それを信条にしてやってきましたが、まだまだ表現不足の勇気が足りない自分を反省しています。
みなさんも、授業中先生から「これわかる人いますか?」と聞かれたようなとき、全くわからないのに手を上げるわけにはいきませんが、知っているが、いま一つはっきしないような時は、思い切って手を上げることですね、間違っていてもかまいません。間違いを教えていただけるだけでも儲けものです。そういう風にして自信がついてゆくのですね。表現しないと何の収穫もないでしょう。日本人はおとなしい、どちらかというと受身の姿勢が目立つ民族です。それはまた、日本人の美点でもありますが、然し大体は表現する者の方が得をするようになっています。PL学園からこの受身の姿勢を一歩前に出る、手を上げるに姿勢に変えて行こうではありませんか、そんなことを考えている近頃です。