No.5 理事長だより
張り切ってにこにこ
1958年11月、私は富尾増一先生に続き、ブラジル派遣教師第2号として日本を後にしました。 日本を発つ前日、先代おしえおや様のところへご挨拶に行きましたら、私の顔を見るなり、いきなり「小野君!いいことを教えてあげよう、いつも張り切ってニコニコとやることだ。人間はねえ、どんな国へ行っても、そこで張り切ってニコニコやっておれば、みなから好かれ、仕事もうまくいくものだ。 まあ、頑張りなさい」。私はこのお言葉をしっかりと胸に抱きしめてブラジルに赴任しました。そしていつもこの「張り切ってニコニコ」を心がけました。 大勢の人にお話をするときも、先ず神前で「今からここに集まられた人たちにこういう話をしますが、張り切ってニコニコ話しますから神様よろしくお願いいたします」と遂断り、その後、そっと、独りでニコニコ顔をつくって、よし! と、みんなの方に向き直って話を始めたものでした。
東(あずま)良三さんのこと
実はこの「張り切ってニコニコ」を私より先にブラジルで実行している人がいました。 それは私が行く1年前、ブラジルに渡った札幌教会のPL青年、東 良三さんでした。 彼は、渡航費を安くあげるために、ブラジルからの注文によって日本で建造されたブラジル軍艦に乗せてもらってブラジルへ渡りました。 航海中は、コックの仕事をはじめ、掃除その他何でも進んで艦内の仕事を手伝い、その明るい骨身惜しまない働きぶりは、乗組員はじめ、いっしょに行った日本の青年たちみんなから好かれて、多くの友人をつくりました。 サンパウロ市に着いてからは、日系のTホテルのコックとして働きましたが、その働きぶりに、ホテルのオーナーが感心し、厚い信頼を得ました。 また、ホテルに食事にくる日本人に気軽に話し掛けて、親しくなると少しずつPLの話をし、既に移民していたPL会員にも呼びかけて、日曜毎に、ホテルの一室でPLのミーティングをさせてもらうようになったのでしたが、ホテルのオーナーも出席したそうです。彼の信条は、「誰にも明るく挨拶し、どんなことでも気軽に引き受け、骨身惜しまず親切を尽くす」でした。 その年の10 月、富尾先生が日本から赴任され本格的なPL布教が始まったのです。 何時か、何かの本で読んで、記憶に残っている話に、「今や、男の子は、『こんにちは』、『ありがとう』がはっきりと言えて、時間に遅れず、愛嬌があれば立派に生きていける」というのがありました。なるほどと思ったことです。 これこそ、「張り切ってニコニコ」をより具体的に説明したものといえるかもしれません。 この春、小学校、中学校、高校、衛専をそれぞれ卒業する学園生のみなさんに心をこめて贈りたい言葉― それは「何時でも、どこでも 張り切ってニコニコ」です。